カメラ業界をとおして感じる文化違い

2110月 - による yuichiro ikeda - 0 - コンフィデンシャル

2012-10-21-gopro3

日本のコンパクトカメラ市場では、大企業が年に数回製品を発表するサイクルを繰り返しています。多少のコンセプトの違いはあっても、いわゆるコンパクトカメラの枠を越えた製品というのはあまり見受けられないように思います。

一方、アメリカでは小さな会社が面白い製品をたくさん作っているというのよく見かけます。GoProだったりLytroだったり。この違いはなんだろうと思ったんです。

GoPro

Lytro

 

レイチェル・ボッツマンの記した「シェア <共有>からビジネスを生みだす新戦略からビジネスを生みだす新戦略」という本もありましたけれど、SNSがこれだけ世界中の隅々にまで広まった理由の一つに「share」という考えがあると思います。今思ったことをシェアする、今日撮った写真をシェアする、今いる場所をシェアする、事件をシェアする、気持ちをシェアする、いろんなシェアがあって、それぞれのシェアを実現するツールとしてSNSがあると思います。そのツールの中で簡単かつダイレクトにシェアする方法として写真があると思うんですね。以前は、カメラで撮影してもあれこれ手間を掛けてシェアしていましたが、今はスマートフォンや通信手段の進化で、撮ったままシェアすることが出来るようになりました。

このシェアという言葉について、日本とアメリカに差があると指摘している人がいます。アメリカでLUNARRという会社を立ち上げた高須賀宣さんは、「アメリカでshareというと、目の前にあるピザを分けるという概念。一方日本でのシェアすなわち共有というと、みんなで1つの鍋をつつくイメージ。日本語の共有は英訳するとcommonに近いのではないか。」(高須賀さん)(ここから引用)

日本も米国に負けないくらい写真のシェアをすることが好きな民族だと聞きますけれど、その日本ではアメリカに比べて自由な写真表現をするツールがなかなか生まれないんです。でも、このシェアの感覚の違いという部分を踏まえてみると、なるほど納得できる部分があるんじゃないかと。最初に取り上げた会社は、デジタルカメラ世代に創業した会社ですから、確かに従来の難しい技術がなくとも、アイデアを形にすることで新しいカメラが出来てしまう世代なのかも知れません。でも、シェアする感覚が、「一緒に何かする」のと「配る」という感覚ではあまりに違っていて、消費者にとって新しいシェアを生み出そうという気持ちがなかか生まれてこないように思うわけです。

GoProは、アクティブに活動することをみんなでシェアするための映像ツールとしてHero3を開発し、Lytroは、どんなシチュエーションで撮影しても、あとから好きなようにピントを変えられるLytroを開発していますが、文化の違いが新しいアイディアの目をつぶしてしまっていないかという気がしました。長々と書いてしまったけれども、要はその部分。「これだけ同じ世界をシェアしているのに、文化の違いでその国で生まれてくる製品に大きく影響している」ということが、これから少しでも減っていけばなと。日本で生まれたって、アメリカで売れたっていいじゃないですか。アイディアに国境はないですし。あるのは、気持ちの国境くらいでは。

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