光に照らされることと光が見えることの違い

306月 - による yuichiro ikeda - 2 - コンフィデンシャル

この違いをどう理解すればいいのか、よく分からないけれど、これらは同じ事でありながら、人間には明らかな違いに感じられる

例えば、遠くに見える飛行機や船、建物の明かりは、辺りが暗ければ間違いなく見ることが出来る

しかしその明かりが消えても、点いていても自分のいる場所の明るさは変わらない

それがひとたび目の前で明かりが点けば、その明かりによって照らしだされた自分はの後ろには、うっすらとでも影が出来る

この二つの違いは、明かりが届いているか見えているだけかだ

どんなに近くに光があっても、何かを照らすにはある程度の光量が必要だ

科学的には、光が見えることと光に照らされるということのに違いはなく、いずれも光が届いているとするのだと思う

しかし、光の側に立つと、影がでる部分しか照らしていないと思っているのではないか

このことを科学的にはもっと深く理解したいところだが、今回はそうではない

このことは、僕に二つの教訓を示してくれている

一つは、自分のやっていることは遠くにいるひとにでも伝わり、どんな人にでも見えているということ

そしてもう一つは、自分が見えていない人にも、自分の影響は必ず及んでいるということだ

灯台もと暗しとはよく言ったもので、人間は自分の足元ですら見えていない生きものなのだ

それが自分が見えていると認識していないところなど、まったく感知しない

この世のなかで二つ目に創造された光ですらそうなのだから、人間はもっと一つ一つ意識的に生きていかなければならないとおもった

目で見ることが出来ないところまで考えて過ごすことはもしかしたら非常につらいかもしれない

でも、それが欠けてしまって私利私欲だけになりつつあるから、いま社会のバランスがとれなくなっているのではないだろうか

人と違うことや、オリジナリティがなければ自分のアイデンティティーが見えないと思うかもしれないけれども、意識しなくたって、人のことを考えることが、今では自分のアイデンティティーではないだろうか

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