先生業

3010月 - による yuichiro ikeda - 2 - コンフィデンシャル

突然将来やりたいことが変わったわけではなく、今まで考えたこともなかった考え方を知ったのでメモ程度に

会社の先輩と話していて教えてもいただいたことだけれども、

「先生は自分の教え子に自分を超えられることがうれしい」ということ。

どんな先生でもかまわないけれども、誰かを教える人は自分の教え子が自分を超えてより高いところにいくことを心底よろこぶというのだ。

僕は教育者を目指したことがないからあまり教育ってことを深く考えたことがないんだけれども、なんとなく一般的には先生は自分の教え子に超えられることをうれしいとは思っていないと思ってきた。単純に先生を超えられたら自分の「席」が奪われるかもしれないし、おもしろくないのではないかと。

でも、先輩解説によれば

「先生は教え子に自分の持てるものを伝え、教えるけれども、教え子が自分を超えるということは、自分今まで得たものを与えた上で、自分が得ていない部分まで得ることができるようになったということだから。」

ということだった。

うん なんだか納得。

たしかに、自分が得ていない部分まで得ることができるようになるってことは、自分が教えた以上のものを身につけてくれたということだからこれこそ本当の先生なんじゃないかと思える。

この言葉を聞いたとき、本当に驚き、そしてちょっと感動

でも、世の中の先生業の人の中でこういう気持ちを持っているひとがどれくらいいるのか心配なところだけど。

若干次に続く...

“先生業” への2件のフィードバック

  1. コメントありがとうございます
    この2週間があまりに忙しくて返事が遅くなってしまい申し訳ありません
    このコメントにはとても納得したと同時に、感謝しています
    僕のエントリーを見事に正文し、またさらに別の一面に気づかされました。
    自分はまだ職務上の後輩はいませんが、このことが自分の日常の中にすぐに反映できるものだということが身にしみてわかりました。
    エントリーの段階では、自分で書きながらも理由付けというかなぜそう思うのかという部分がはっきりと言えなかったのですが、そのことも含めてとてもよく理解できました。
    このブログ自体一般的なブログとはコンセプトが違うのですが、そのコンセプトをも満たせるいいエントリーになりました。

  2. 初めてコメントを投稿します。
    教え子が自分を超えることを喜ぶことが出来る先生は、
    努力をしている先生だと思います。
    自分が精一杯の自己研鑽をしていて、それでもなお、
    教え子が自分を超えていくようであれば、
    それは自分の努力する姿勢に納得したうえでの結果。
    それは素直に嬉しいのではないでしょうか。
    刺激を受けることはあるにせよ、
    教え子を妬むことは無いでしょう。
    しかし、逆に、自分の努力する姿勢が足りない自覚が
    仮に自分自身に対して潜在的にでもあれば、
    優秀な教え子の存在は嫉妬の対称になるのかもしれません。
    教育に携わっているか否かに関わらず、
    誰もが社会に出れば、いずれは後輩が出来て、
    多かれ少なかれ指導する立場になると思います。
    今回の教員の話は「他山の石」ではありませんよね。
    自らが不断の努力で研鑽することで、
    自信を持って後輩の成長を喜ぶことの出来る
    先輩としてありたいものです。
    そして後輩の立場としては、そんな努力する先輩を見つけ、
    その背中を見習っていくことが出来れば幸せではないかな、
    と思います。
    長文・乱文失礼。

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