Quest Qualia

315月 - による yuichiro ikeda - 0 - クオリア ブログ

月末にふさわしいネタが見つかったのか、ネタが月末にふさわしいのかよくわからないけれども 哲学のたぐいが苦手な僕が珍しくまともなことを考えてしまいました。

クオリアという言葉があります。Qualeの複数形でQualiaです。

単純にいえば質感を意味する言葉なのですが、ひょんな事からこの言葉がいかに深い意味を持つ言葉なのかを知ることとなりました。

クオリアの持つ意味を説明するのは僕には到底出来ないけれども、ある文献から引用すると、

クオリアとは、「赤の赤らしさ」や、「バイオリンの音の質感」、「薔薇の花の香り」、「水の冷たさ」、「ミルクの味」のような、私たちの感覚を構成する独特の質感のことである。

質感とはよく言ったもので、ものがそのものである状態を表象された状態を表していることばだ。

クオリアの中には、階層構造がある。クオリアが階層的に集合して、より複雑な表象(representation, Vorstellung)が生じる。例えば、ガラスの透明な質感や、ガラスの表面の色はクオリアであり、このようなクオリアが集合して、「コップ」という表象が構成される。

赤が赤であることやバイオリンの音色がそれであることがわかるということはデジタル情報技術が発達した現在では、色を光の周波数としたり、音を振動による周波数などの数値に置き換えたりすることで伝達する手段を持ったが、それはあくまでも自然科学の面から分析したにすぎない。赤が赤らしいということは人間が作り上げたものだ。

ただし間違えてはいけないのが、普遍的なことを説明しているのではない。たとえば、1はなぜ1なのかとか言葉では説明できない理屈なしに決まっていることを表すものではない。

もしかしたら、僕の解釈は全く間違っているのかもしれないけれども、これこそが人間が人間の脳を持ってしてその価値を生み出している根源の一つだと思う。上に引用したようにクオリアはそれ一つでも成り立つけれども、複数のクオリアが集合したときより複雑にそしてさまざまなものを表象させる。

僕が引用した茂木健一郎草稿のクオリアマニフェストでは、クオリアと主観性との密接で切り離すことが出来ないふたつの基礎を明らかにすることにより、自然科学だけでなく、人的文化にも大きなインパクトを与え、ひいては人間とは何かという問いに答える鍵になるとしている。僕にはクオリアと主観性との関係を頭の中で進めていく能力はないので、その点は茂木先生にお任せするとして、自分がクオリアを感じたと思うことを残すことは出来るなと思った。

ということで、急遽カテゴリ「Qualia」を作りました。さらには、サーバー移転ともかねて、ブログの副題を「Quest Qualia」に変更しバージョン3になりました。

クオリアの解明に寄与するというよりは、人間として生きているからこそ感じることが出来る、「赤が赤であること」をきちんと感じるためにこういう事を試してみようと思う。個人的には、https://www.dreamsky.jp/qualia/とでもしてブログを別に作りたいくらいの内容だけれども、しばらくはこのまま一緒に放り込んでいくことにします。

よかったらこれを読んだ皆さんも是非自分がクオリアを感じた時にコメントやメールをください。それをどんどん集合させて行きたいと思うので。音、色、言葉、味、においなどいろいろありますから

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