ジャーナリスト宣言2

32月 - による yuichiro ikeda - 0 - PR・広告 ことば

先日のエントリーで、朝日新聞社が創刊127周年のキャンペーンとして展開している「ジャーナリスト宣言」の広告文についてエントリーしました。

このキャンペーンの背景として、NHK番組改変問題や朝日新聞社会社の虚偽メモに基づく報道などの問題があります。
このキャンペーンホームページに掲載されている背景のないメッセージは企業の方針やガバナンスの現われとして一定の評価をしたいと思うし、コピーとしてはよくできたものだと思います。

が、街中で見る同キャンペーンの広告には写真が使われています。
これを僕なりに解釈すると、自社のホームページではキャンペーンの背景として、「信頼される報道」というテーマが大きくあると書いており、それに対する一企業としてのこれからの方針を公にしている一方で、街中の広告には、新聞報道という一般論に話を押し下げて、単に言葉によるジャーナリズムに対してこれからも、精力を注ぎますというふうに取れます。

さらに、使われている写真は大量の象牙が焼却処分にされている(おそらく密輸されたものを没収したところ)場面や、9.11のビル崩壊現場といった写真です。報道写真としては衝撃的な写真ですが、「言葉が残酷で、無力だ」としているコピーとともに掲載するメディアとしては明らかに不適切で、広告として成り立っていないと思うのです。

このまま受け取るなら、「言葉は残酷で無力だから、写真に頼らざるを得ない。」「広告にしてみてもやっぱり強烈な写真があったほうが目を引くから」というふうに感じてしまう。

1つは、媒体によってまったく受け取られ方が違う広告を行っている。
2つは、本来主張しようとしていることとは異なる力を使って主張している。要は、真っ向から勝負しようとはしていない。つまり、自社の起こした報道姿勢を問われる事件に対する答えがこれ。
という2点について、朝日新聞社には非常に落胆した。
勝手な意見ではあるけれど、広告の見せ方が閲覧者にどういう印象を与えるのかというひとつの意見として自分に記憶させておきたいと思った。

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