Archive for the ‘My Opinion’ Category

1分間の報酬

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ネットで「読み手の負担を最小化するメールの書き方」というブログを興味深く読みました。
普段から自分がやっていることもいくつかあったけれども、改めて書かれると注意しようという気になります。仕事を処理するのは他人ですが、仕事の評価をするのも他人ですから。
ところで、このエントリーの中に、大量のメールを処理してゆく価値についての言及があります。

●あなたの1分あたりの報酬額はいくらだろうか?
●年収を120,000(分)で割ってみれば分かる
●この計算を組織を挙げてやってみると良い
120,000分の根拠は書かれていませんでしたが、年250日、1日あたり8時間働いた場合の総時間と思われます。この1分あたりの自分のコストを知っておくと、そのリアルさが痛感できると思います。
「スパムメール処理に500円!」
「電話でのクレーム対応で750円!」(シゴタノ 読み手の負担を最小化するメールの書き方より)

あくまでも例ですから、構わないのですが、自分で計算した結果の数字に非常に驚きました。
何てったって、残業しないで1日8時間働いたことにして計算したとしても、1分で33円ですよ。
電話でのクレーム処理に何分かかると計算しているかわかりませんが、一日100件近くのスパムメールの処理に10秒とかからないので、コストは5銭です!
それにしても、自分の今の報酬って相応なのでしょうか。最近の最大の悩みどころなのであります。
*Tips for Mastering E-mail Overload(Harvard Business School)
http://hbswk.hbs.edu/archive/4438.html
*シゴタノ 読み手の負担を最小化するメールの書き方
http://cyblog.jp/modules/weblog/details.php?blog_id=369

Written by DreamSky

11月 16th, 2006 at 11:46 am

あるものをよりよく

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PLC(Power Line Communications)という技術をご存じでしょうか?

今まではネットにつなげるときには、パソコンを動かす電源とインターネットに接続する電話回線とが独立して別々に必要でした。これを電源だけ一本にしてしまうという技術がPLC(日本語では電力線搬送通信)という技術です。つまりはコンセントにプラグを差し込むだけでパソコンに電源を供給しながらインターネットに接続できてしまうって訳です。有線にしても無線にしてもインターネットに接続ってのはなにかと面倒くさいものですし、ケーブルがごちゃごちゃして見栄えも悪い。そのあたりをすっきりさせるいい技術ですね。

でも、本当にコンセントにプラグを差し込めばよくなるのはまだ少し先の話で、その先駆けとしてパナソニックコミュニケーションからHD-PLCという規格のこれに近いが製品化され12月に発売されることになりました。

パナソニックコミュニケーションのHD-PLC製品

この技術は、家庭内のインターネット接続を電力線だけですませるようにするもので、宅内までのネットは今までの電話線を利用しています。そのモデムからこの機械を通すとコンセント内に情報が流せるようになるわけです。

さて本題ですが、最近新しい技術がどんどん開発され、新規格が登場している一方で、既存のインフラを生かした技術というのも多く開発されているように思います。上のPLCもその一つ。インターネットに接続するために電話回線を光に変えるのではなくどの家にも必ず敷設されていて、どの部屋にも繋がっている電力線を利用しているという点が。ブルーレイとHDの対戦に見るように次世代の新しい規格を巡る争いはある意味技術発展という点ではいいことかもしれませんが、新しいことは作り出すことはある意味では簡単なことです。何もないところに作ればいいのですから。難しいのは、もうすでにある枠の中で新しいことを実現しようとするときです。もしかしたら妥協したりあきらめなければならないことがあるかもしれませんが、既存のものをそのまま利用できるというメリットは大きいとともに、ある規制の中で新しい技術を開発したということは開発者としても技術者冥利に尽きるというものではないかとも思うわけです。

そう考えるとそもそもADSLという技術だって既存の電話回線を利用した高速通信技術ですからこれに該当します。

ところで、多くの場合ここで意外な壁にぶつかることが多いようです。それはつまり「規制」。日本で初めてパソコンを利用した通信が利用されるようになってからまだ15年程度しかたっていませんが、そもそも電話回線は音声の伝達のために設置されたもので、それ以外の用途に利用してはならないという規制がありました。既存のインフラを利用するということは技術が開発できても、それを社会で利用するには規制の壁も超えなければなりません。

いろいろな壁はあるけれども、新しい技術を開発するときにある程度の縛りのなかでより高度なことを実現させるということもこれから必要なのではないかと思います。環境にも優しい可能性が高いですしね。

あまり関係ないけれども、ついでなのでおもしろい技術をもう一つ。音響OFDMという技術。ある意味ではPLCの技術に近いですが、音に情報を載せるという技術で、これを携帯電話に搭載することで、何気ない日常の「音」から情報を得るということが可能になるのです。もちろん双方向性はないですが、一方的な情報提供の面ではおもしろい技術だと思います。たとえばラジオを聞きながら流れた曲の情報がすぐにわかったり、広告サイトのアドレスやより詳細の情報の提供ができたり。既存のインフラは利用していませんが、音は空気や水などの媒介がある限り伝わる普遍のもの。そこに着目したちょっとスマートな技術じゃないでしょうか。

*パナソニックコミュニケーション PLC

http://panasonic.co.jp/pcc/products/plc/index.html

*NTT DoCoMo Research & Development 音響OFDM

http://www.nttdocomo.co.jp/corporate/rd/rd_tech/vol3.html

Written by DreamSky

11月 15th, 2006 at 9:55 pm

教育は知識を与えることじゃない

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なかなか難しいお題が出てきちゃいました。僕がこんな難しいお題を考え出せるわけもなく、受け売りですわ。

一つ前のエントリー「先生業」で触れたことの追加なんだけれども、先生は自分の教え子に超えられることをうれしいと思うもう一つの理由が「教育は知識を与えることじゃない」からだそうだ。教育は知識を与えることではなくて、学力を養うものだということが重要。学力ってのは単により難しい問題が解ける能力のことをいうのではなく、文字通り学ぶ力のこと。わかりやすくいえば、その人が学ぶときにどれだけ体を動かし、頭を動かしてきたかということ。知識は学力を持ってして身につくもの。

最近「結婚力」とか「肌力」とかなんでも力をつけりゃいいって思わせる造語が増えているにもかかわらず、昔から使われてきたこの学力という言葉は学ぶ力ではなくて、問題を解く力という意味に変わってしまっている。

教育が学ぶ力を掘り起こすものだとすれば、先生業で先生は教え子の学ぶ力を見いだしてやることではあっても、子供に何かを奪われる仕事ではない。知識が奪われることもなく、学力を奪われるもものでもない。

何も奪われるもののない先生業なんだから、自分を教え子が超えるということを喜ばないはずがない。ということだ。

Written by DreamSky

10月 31st, 2006 at 1:10 am

先生業

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突然将来やりたいことが変わったわけではなく、今まで考えたこともなかった考え方を知ったのでメモ程度に

会社の先輩と話していて教えてもいただいたことだけれども、

「先生は自分の教え子に自分を超えられることがうれしい」ということ。

どんな先生でもかまわないけれども、誰かを教える人は自分の教え子が自分を超えてより高いところにいくことを心底よろこぶというのだ。

僕は教育者を目指したことがないからあまり教育ってことを深く考えたことがないんだけれども、なんとなく一般的には先生は自分の教え子に超えられることをうれしいとは思っていないと思ってきた。単純に先生を超えられたら自分の「席」が奪われるかもしれないし、おもしろくないのではないかと。

でも、先輩解説によれば

「先生は教え子に自分の持てるものを伝え、教えるけれども、教え子が自分を超えるということは、自分今まで得たものを与えた上で、自分が得ていない部分まで得ることができるようになったということだから。」

ということだった。

うん なんだか納得。

たしかに、自分が得ていない部分まで得ることができるようになるってことは、自分が教えた以上のものを身につけてくれたということだからこれこそ本当の先生なんじゃないかと思える。

この言葉を聞いたとき、本当に驚き、そしてちょっと感動

でも、世の中の先生業の人の中でこういう気持ちを持っているひとがどれくらいいるのか心配なところだけど。

若干次に続く...

Written by DreamSky

10月 30th, 2006 at 10:43 pm

10000日目

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ネットをしていて偶然見つけたあるブログで、「人生は、たった3万日」というエントリーを読んだ。

人生82年として、それを日数換算するとおよそ3万日。  たったの。

なんでもカウントすりゃいいってもンでもないけれども、単位が「万日」という大きな単位になると、感覚的に自分の位置をつかみやすくなるというのが数字のおもしろいところだ。たとえば、今5000日なら6分の一、10000日なら3分の一の人生を過ごしてきたという感覚が。

もちろん、人生がすべて3万日で終わるわけではなく、3万日以上、あるいはそれ以下しかないかもしれない。

でも、自分の人生の位置を小さな数字で表したとき、「余命」が後何日しかないということが見えてくる。本当に余命宣言をされた方には非常に申し訳ない言い方になってしまうが、一般には自分の人生がいつ終わるか誰も知らない。わからないことをいいことに緊張感は薄れてしまうのが人間の常。

3万日の人生の中で、休む時間も当然あるわけだから充実できる時間はもっと少なくなるわけです。

そこで、自分の今の「位置」を知りたくなって、計算ツールを探しました。

(こういうときにはMacよりWindowsの方が便利ツールが多いですね)

そうすると、なんと僕は2006年12月13日に生まれて10000日を迎えることがわかりました。

ちなみに今日は9945日目。

これは大変です。もう人生の3分の一が過ぎてしまった。

そんな重大なことに気づいて、そのことを念頭にこれからの自分をどうしようかもっと考えてみたいと思う。

参考までに、10000日は計算面倒ですが、27歳と4ヶ月+α日で訪れます。

ちなみに一般に人間の心臓は6億回鼓動すると限界だそうです。

Written by DreamSky

10月 29th, 2006 at 11:50 pm

裾野を広げるためには

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僕は個人的には沖縄がとても好きですが、だからというわけではなく沖縄に基地を建設しようとすることに対しては反対の立場です。

ネットを見ていると、基地建設反対を表明しているサイトではその行動に対する批判が絶えません。批判の意見にもいろいろありますから、ただひたすら自分の意見を書き殴る人がいたり、あまり関係ない意見を書く人もいますが、はっきりと建設反対派への疑問や意見を求めているコメントもあります。基地建設に反対だという意見を持っている以上、誰かが決めたことに反対の意見を持っているということですから、当然ながら意見が対立することになります。

一方で、反対派の意見というのは自分のHPでは表明していても、たとえば他のサイトで意見を戦わせたり、コメントを投稿するという数がかなり少ないと感じます。この点はもしかすると僕の見ているサイトが偏っているからかもしれません。そうであったら、このエントリー自体全くの間違えですから、無視していただきたいとおもいます。

実際のところ、反対派の方が人数が少数派であることが多かったり、ネットで意見を戦わせる場合には長いコメントを早まることなくきちんと読んでもらわないと理解してもらえないことが多いと思います。ですから、はっきり言ってネット上で理解してもらうことにはかなりの労力を要します。

ですから、すべてのコメントに対してとはいいませんが、しかしある程度の意見に対してはもっと意見を出していくべきではないかとおもうのです。リアルタイムでなくても多少時間がかかってしまってもです。

反対派に反対の人たちは、強烈な言葉を使うことがありますが、意外とその人の中では単発的に発生する、反対派の意見にきちんと対応したコメントしていることが多いと思うのに、反対派に反対する人のコメントに対して多くの場合真っ向からそのコメントに立ち向かおうとしないのです。

正しい批判というのは意見の中身が反対であるというだけで、誹謗中傷だけを目的としてはいないはずなのです。その峻別はまたなかなか難しいことですが、質問や疑問に対して率直に意見を返す。という行動は逃げては通れない手段ですし、そうしなければ自分たちの行動が単に一部の組織的な反対者でしかなくなってしまうのです。反対行動を進めていく上で当事者であることは大切ですが、その行動に賛同する人が増えないというのはそういった活動がほとんど行われていないという証拠なのではないかと感じます。

現実問題として、少数の人が体を張って建設を阻止する運動を展開するよりも、多くの人がいろいろな手段を用いてさまざまなアプローチで阻止運動をする方が効果的であることは間違いありません。ということは、運動を広く展開していくことが必要ですから、そのためには裾野を広げて行かざるを得ないと考えるのです。

これからますます建設が本格化するわけで、運動もより厳しさを増すことになります。現場で体を張る人がいて、ネットで意見を戦わせる人がいて、政府に問いかける人がいて、署名活動する人がいて、裁判を起こす人がいて、報道する人がいて、かたちは様々それぞれが多くの人を巻き込んでいかなければならない活動です。そのように活動の裾野を広げるために、その一つとして、自分たちの意見や考え方をきちんと表明し、反対派に反対の意見を持つ人にきちんと向き合うという行動を忘れてはならないと強く思うのです。

Written by DreamSky

10月 15th, 2006 at 9:43 pm

普天間代替基地建設反対派の言葉

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こんな内容をmixiのような閉鎖的にできる場所でなくて、誰もが見られるブログに書くことではないのかもしれないけれども、どうしても頭から離れない言葉があって書き留めておこうと思う。いつもはブログを更新したことをこちらから公にお知らせするPINGという機能を使っているけれども、このエントリーはその機能は使わないことにした。

数日前に、沖縄・辺野古沖の海上ヘリポート建設計画の反対運動をしている大学時代に大変お世話になった方と電話で話した。

僕は個人的な旅行で友人たちと11月に沖縄に行く予定なのだけど、その途中で1日その方にお世話になろうと計画している。そのお願いで電話したのだけれども、その際に「今はあんなだから、これから僕がどうなるかわからないけれども、僕がいなくてもいつでも建物は自由に使ってかまわないよ」とさらっといわれた。

「今はあんなだから」....本当にこれからどうなるかわからないけれども、政府は辺野古沖の海上ヘリポート建設計画はかなり具体的な動きに出始めてきている。今まですでに3年近くにわたって座り込み運動をしてきた中でも、現在の状況はおそらくかなり厳しさを増しているのではないかと思う。

「建物は自由に使ってかまわないよ」に他意があるにしても、自分がどうなるかわからないほど今の情勢は厳しいということだと想像できる。先日の琉球新報の一面にも機動隊が、お互い腕を組み合って人間の鎖を作り、教育委員会の進入を拒もうとしている反対派市民を強引に引き離そうとしている姿が生々しく掲載された。お隣の韓国では同じような米軍基地の新設現場で、2万人もの警察(軍に近いと思うけれども)が動員され、多くのけが人や逮捕者を出している。

15日の抗議行動では、調査のために入ろうとした教育委員会の人は、「我々としては混乱を避け、理解を得た上で調査に着手したい」として、現場到着から1時間あまりで立ち去ったそうで、今の段階ではまだ対話の姿勢があるように見えるがわからない。

僕は「自分は東京にいてなかなか活動に参加できないけれども」と枕詞を付してしまうけれども、実際に活動している人々が反対運動に対してではなく、自分に対してどういう思いや考えでいるのか初めてちらっと聞いた瞬間だったと思う。

政府関係者は自分の一言一言がどんなに多くのひとの人生を変えていってしまうのか十分によく考えて決めてほしい。お世話になった方かどうかに関係なく現場で反対運動をされている方々はどうぞお体に気をつけてください。

Written by DreamSky

9月 18th, 2006 at 6:54 pm

Posted in ことば,沖縄

Joe Rosenthal

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Raising the Flag on Iwo Jima
この写真を見ればたぶん誰もが「あー知ってる」って言うと思う。
そう、太平洋戦争中の激戦地の一つとされる硫黄島の戦いに勝ったアメリカ軍が硫黄島の擂鉢山に星条旗を立てるシーンだ。ワシントンD.C.の戦没者慰霊碑にもこの銅像があるほど、アメリカの太平洋戦争の象徴ともいえる写真だ。
この写真を撮影した従軍記者ジョー・ローゼンソール氏(Joe Rosenthal)が8月20日死去したそうだ。
以前にも書いたけれども、戦争という言葉にとても興味を引かれる。もちろんその興味とはおもしろいという意味ではなくて、この言葉があるだけで人は殺人を正当化するからだ。
僕が興味を持つようになったのは、正確にいつの頃からかわすれたけれども、中学1年生の時にワシントンでこの銅像を見たときにスイッチが入ったのをよく覚えている。この銅像はアメリカが硫黄島の戦いをきっかけに太平洋戦争に勝っていくきっかけになった戦いだと認識していることを表しているけれども、それだけではなく、この戦いでアメリカが大きな犠牲を払ったことを後世忘れてはならないという思いも感じられる。
写真家がどんな思いでこの一枚を納めたかは知らない。でも、アメリカ人がこのシーンを心に刻んだということをいつまでも忘れるべきではないと思う。
*Wikipedia [Raising the Flag on Iwo Jima]

http://en.wikipedia.org/wiki/Raising_the_flag_on_Iwo_Jima

Written by DreamSky

8月 25th, 2006 at 4:39 pm

美しい国へ

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7月の終わり頃、本屋でたまたまこの本を見かけた。内容はどんなでもいいからとりあえず買ってみた。内閣官房長官安倍晋三の単独著作だ。7月20日に第1刷が出されてから、たった5日後に第2刷がでているという売れ行きだ。

今次期自民党総裁選が焦点になっているさなかだし、自民党総裁はイコール首相だから、次の最有力候補の本ぐらい読んでおこうと思ったのだ。政策提言だと思ったら、結びの言葉が、

「本書はいわゆる政策提言のための本ではない。私が、十代、二十代の頃、どんなことを考えていたか、私の生まれたこの国に対してどんな感情を抱いていたか、そしていま、政治家としてどう行動すべきなのか、を正直につづったものだだから若い人たちに読んでほしいと思って書いた。この国を自信と誇りの持てる国にしたいという気持ちを少しでも若い世代に伝えたかったからである。」

でした。

まあ、そんな感じだったかな。祖父・岸信介、父・安倍晋太郎に影響を受けて、また、自らの政治活動の中で培った思想について語っている本というのが総括でしょうか。

正直に言うと、この本を読むときにはじめから最後まで非常に緊張して読んだ。政治家の単独著書というのをあまり読んだことがないからなんだけれども、いくら政策提言ではないと書いてあったって、個人の意見ではあるから「私はこう考えるからこれは正しい」とか「これはこう解釈する」と書いています。靖国問題は当然のこと、北朝鮮の拉致被害者の問題、少子高齢化の話、教育、日米同盟について多岐にわたる意見が書いてあるから、とにかく洗脳されまいと緊張したわけ。

で結果として思ったのは、確かに彼の考えていることをたどっていくとその結論にたどり着くのはわかるけれども、議論すべきことをすり抜けてしまっているのではないかと思うところが何カ所かあった。彼はその点について、議論すべきところではなく「人間として」論に持ち込み、頭で考えることではなく当然のことだと展開していた。

今日、小泉首相が終戦記念日(条約上の日で実際には異なるけれども一応)の靖国神社参拝を強行しましたが、この本で安倍官房長官は靖国参拝に賛成とはっきり書いています。

「いかなる国民も、国家のために死んだ人々にたいして敬意を払う権利と義務がある。もし靖国神社を焼き払ったとすれば、その行為は、米軍の歴史にとって不名誉きわまる汚点となって残るでしょう。歴史はそのような行為を理解しないに違いない。」という、ブルーノ・ビッダー神父の言葉を引用して。

この言葉だけを引用すればきれいに片づくように思うけれども、どんなに当時決着をつけたことだってそんなに簡単なもんじゃないです。安倍さんはいろんな意味で見地の広い人だと思うけれども、この感じで行くとなんでもずばずばと切り込んでいくような政策をしていくのではないかと思う。彼の思う「美しい国」と国民が思う「美しい国」とができるだけ乖離しないことを願うばかりだ。

Written by DreamSky

8月 15th, 2006 at 11:39 pm

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初めて聞いたアナウンス

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今朝8時半前に新宿駅を通る山手線に乗っていたんだけど、車掌さんのアナウンスにちょっとびっくり

「まもなく新宿に到着いたします。どなた様もお忘れ物などなさいませんように今一度ご確認ください。」

というのまではまあ、ありがちな文句。

そのまま続けて、

「今日も一日お気をつけて行ってらっしゃいませ。」

新幹線や飛行機に乗ると、まあこういうありきたりではないアナウンスというのもあると思うけれども、この言葉は在来線という日常の毎日、誰もが使うところでしか適していない言葉だから、逆に新幹線などではあわなくなる。

ちょっと考えてみると一番適した言葉なんだけれども、おそらく僕が今まで21年間電車に毎日乗って通勤通学してた中で初めて聞いたアナウンスだった。

みんなにまねされるとなんだかくすぐったい言葉だけれども、たまにはいいんじゃないでしょうか?

ただ、せっかく車掌さんが言ってくれたものの、今日一日はほとんど空回りでかなり最悪の一日だった...

Written by DreamSky

8月 2nd, 2006 at 10:33 pm

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